どうも皆さん、バルコニーです。
このページでは『元寇』について解説していきます。
文永・弘安の役の年号を忘れる
文永・弘安の役の順番を忘れる
元寇の時の執権は誰だっけ?
という方、いると思います。
しかし、安心してください。
このブログでは、日本史試験の頻出部分を絞って
力づく&無理やり感のない語呂合わせ&覚え方を紹介しています!!
語呂合わせだけ知りたい方は、目次から直接『便利な語呂合わせ~』へジャンプしてください!!
フビライが元を建国し日本に攻めてきた
まずは元寇が起きた背景から学んでいこう!!
モンゴルを統一した チンギス=ハン の孫
フビライ が、支配力をモンゴルから中国・朝鮮まで拡大して『元』を建国します。
そのフビライが、日本にも服属を要求してくるよ。
8代執権 北条時宗 はこの要求を拒否。
すると元は二度、日本に攻撃を仕掛けました。
この戦いをまとめて元寇と言います。
元寇 文永の役と弘安の役
一度目は1274年の 文永の役 です。
日本はなんとか元軍を撤退させることに成功します。
兵士の活躍に加え、暴風雨が日本を味方にするよ!!
文永の役の経験から、 異国警護番役 (幕府は九州の警備を担当)を強化します。
また、石を積み上げて侵入を防ぐ石塁や石築地を九州沿岸に設置して、防衛力強化を図ります。
続く1281年の 弘安の役 も、元軍は暴風雨で撤退することになります。
幕府軍は、元軍の火薬(てつはう)攻撃や集団戦法に苦しめられながらも、2度にわたる侵略を阻止することに成功したよ。
北条時宗の後に執権となった 北条貞時 は、元寇を受けて九州に 鎮西探題 を設置します。
戦いの恩賞が不十分で、御家人から不満の声が上がる
元との戦いに勝利した幕府軍ですが、 戦った御家人への恩賞は、十分に用意できませんでした 。
元寇は「外国の侵略からの防衛」。つまり戦いに勝ったことで、新たに土地を得る事がなかったんだ。
多くの戦費を払いながら報酬がなかった御家人は困窮。
幕府に対し、不満をつのらせることになります。
元寇によって御恩と奉公が崩壊。鎌倉幕府の存続に危機が迫るよ。
便利な暗記法 元寇の要点
元寇について学習する際、
文永・弘安の役の年号を忘れる
文永・弘安の役の順番を忘れる
元寇の時の執権は誰だっけ?
上記のようになる人、いると思います。
そこで便利な暗記を法を考えたよ!!
できるだけ無理やり感がないように作ったからぜひ参考にしてね!!
元寇の語呂合わせは
悲痛な芝居に 胸がときめき 文豪めざす
悲痛な芝居……1274年&1281年
(1274年と1281を合わせて『127481』)
127481 → 悲痛な芝居
胸がときめき……時宗
文豪……文永の役&弘安の役
『文』から『文永』を
『豪』から『弘安』を連想
上記の語呂合わせを覚えることで、
『元寇の年号』『元寇の順番』『当時の執権は北条時宗』
を簡単に暗記することができますよ!!
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終わりの言葉
勉強、お疲れさまでした!!
今回は『元寇』の語呂合わせと解説を記載しました。
引き続き、当ブログでは高校日本史の語句や出来事の簡単な暗記法や語呂合わせを記載していきます。
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