どうも皆さん!! バルコニーと申します!!
このページでは『承平・天慶の乱』について
わかりやすく・見やすく・覚えやすく
触れていきます!!
承平・天慶の乱とは、平将門の乱と藤原純友の乱を合わせた反乱のことを言います。
場所・人物・年号・鎮圧した人物等々 覚えること盛りだくさんです。そのため
・人物と場所の組み合わせが上手く覚えられない
・それぞれの乱を鎮圧した人物が思い出せない
・いい語呂合わせが思い浮かばない
・年号の語呂合わせだけでは覚えきれない
上記のような状況に陥ってしまう方、
いると思います。
しかし、安心してください。
このブログでは、私が予備校時代に日本史の点数を爆増させた覚え方や語呂合わせを記載しています!!
効率の良い語呂合わせ&覚え方を知りたい方はぜひ参考にしてください!!
便利な暗記法や覚え方だけを知りたい方は、
目次から直接「承平・天慶の乱の要点をまとめた語呂合わせ」に飛んでください!!
このページで学べる事
・承平・天慶の乱の年号
・反乱を起こした人 鎮圧した人の組み合わせ
・それぞれの反乱場所
・要点をスッと覚えられる語呂合わせと覚え方
承平・天慶の乱の超ザックリ解説
はじめに、承平・天慶の乱の中身をザックリと見ていこう‼
平将門の乱 (関東地方を中心に反乱発生)
935年 叔父である平国香たちを殺し、北関東の国府を襲う
下総を根拠地とし、自らを『新皇』と称す
940年 平貞盛 藤原秀郷らによって鎮圧される
藤原純友の乱 (瀬戸内海を中心に反乱発生)
939年 海賊たちを率いて瀬戸内海で反乱
伊予を根拠地とする
941年 源経基らに鎮圧される
平将門の乱と藤原純友の乱
2つを合わせて承平・天慶の乱といいます。
これまでも度々反乱はあったけど、武士が中心となって起った乱はこの2つが初めてだよ!!
押さえるべきポイント
平将門は北関東周辺で暴れまわり、平貞盛らに鎮圧された
藤原純友は瀬戸内海で海賊を率いて暴れまわり、源経基らに鎮圧された
2つの乱は一部時期が重なっている
解説①平将門の乱
平 将門 の父である平良持が亡くなったことが
平将門の乱の発端です。
平将門と叔父(平良持の兄弟)たちの間で、良持の領地をめぐる親族争いが勃発するよ!!
平将門は平国香を含めた叔父たちをことごとく返り討ちにします。
彼があまりに強すぎるため、争い相手は『平将門が暴れまわって困っています!!』と朝廷に訴えました。
将門は京都に赴き、裁判を受けます。結果は無罪。
それどころか逆に朝廷内に平将門の武勇伝が知れ渡ることとなりました。
仲介役となった平将門
数々の武勇伝と実績のおかげで、平将門は国司や群司の対立を仲裁する立場になっていきました。
ある日、常陸国で 藤原玄明 と国司の間で争いが起こるよ!!
藤原玄明は租税を納めていない上に乱暴な行動をとったため、彼に対する追捕令が出されています。
藤原玄明はこの状況から逃れるために平将門に助けを求めてきました。平将門は藤原玄明を匿い、それが結果的に国司との対立に発展します。
国司を敵に回すことは、朝廷に逆らうことと同等。
平将門は完全に謀反人になってしまったよ。
しかし、謀反人となったこの状況で、平将門は持ち前の武勇を発揮します。
平将門は国司の軍勢との戦いに勝利した後、周囲の国府(国司の役所)に攻め込み、次々に国司を追い出しました。
その結果、関東全域を支配下に置いた平将門は、下総を根拠地とし、自らを「新皇」と称するようになりました。
無念の死を遂げる平将門
将門の行為を、朝廷は黙って見過ごしません。将門討伐のための軍結成を呼びかけます。
この呼びかけに応じたのが、平国香の息子・貞盛と、武将・藤原秀郷でした。
新皇を名乗ってからおよそ2カ月後、貞盛・秀郷連合軍との戦いで、将門は額に矢を受けて戦死します。
こうして、940年に平将門の乱は終わりを迎えました。
平貞盛の家系は力をつけ、その後の世代によって平氏として知られる一族を輩出するよ!!
平清盛が有名だね!!
解説②藤原純友の乱
平将門が力をふるっている頃、瀬戸内海では多くの海賊が活動しており、窃盗や殺人などの悪事を働き、混乱を引き起こていました。
海賊の中には、生きていくために仕方なく海賊になった人もいるよ。
それだけ当時の瀬戸内地域は荒れていたんだ。
海賊討伐のために伊予国に派遣されたのが、藤原純友です。彼は長い時間をかけて、海賊たちを平定します。
しかし、ある日突然、藤原純友は海賊たちの棟梁になります。
(海賊に転身した理由は諸説あり、はっきりとわかっていません。)
海賊の中には、朝廷の判断によって人生を狂わされた人が大勢いるよ。
そんな彼らを直接目にしたことで、純友は立場を変えたのかも。
藤原純友の乱の終幕
939年、藤原純友の配下である藤原文元が、備前の国の国司 藤原子高を襲撃します。
この事件がきっかけで、平将門同様、藤原純友も国司の敵になります。
朝廷側は平将門と藤原純友の2人を相手にしていたので、なかなか討伐できずにいましたが、先に平将門の乱を制圧したことで、西藤原純友の討伐に集中することができるようになりました。
追捕使 源経基率いる討伐軍は藤原純友の討伐へ向かいます。
藤原純友の死とともに、乱は終結しました。
藤原純友の最期も諸説があり、はっきりとわかっていないよ。
いろいろと謎に包まれた人物なんだね!!
便利な暗記法①
承平・天慶の乱の要点をまとめた語呂合わせ
押さえるべきポイントはわかった。でも
『反乱を起こした人 鎮圧した人の組み合わせを忘れる』
『反乱の場所がごっちゃになる』
上記のようになる人、多いはずです。
そんな時は
『平常心を砕くほどの 狂気と不死が 戦闘力の源です』と覚えましょう!!
平常心→承平&平将門&平貞盛
『承平』を逆から読むと『平承』
『平将』は『へいじょう』と読める
『貞』は音読みで『じょう』と読める
平将門の乱は『へいじょう』がたくさん出てくるので、一気に暗記
砕く→下総&939年(2つの乱が重なる年)
砕→下→下総 と連想
939→くさく→くだく→砕く と連想
狂気と不死→経基&藤原純友
狂気から経基を連想 (経基は経基とも読める)
と から『友』不死 から『藤』をそれぞれ連想
戦闘力の源→瀬戸内海&源経基
戦闘から瀬戸を連想
源から源氏を連想
この語呂合わせを暗記しておくことで
平将門の乱は関東地方(根拠地は下総)を中心に発生し、平貞盛らが鎮圧
藤原純友の乱は瀬戸内海(根拠地は伊予)を中心に発生し、源経基らが鎮圧
がスルッとでてくるようになります。
また、2つの乱の時期が重なる年号も語呂の中に含んでいますので並べ替え問題もバッチリです。
承平・天慶の乱で暴れまわった武士たちは
相手を恐怖のどん底へと叩き落す 狂気と不死身の狂戦士集団
といったイメージを持っておくと、連想により語呂合わせを思い出しやすくなります!!
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終わりの言葉
勉強、お疲れさまでした!!
承平・天慶の乱は武士の活躍が一気に広まる日本の歴史のターニングポイントです。
平、源、藤原 とややこしい名前を持つ人が大勢出てきますが、ここを押さえておくことで、一気に周りと差をつけることができます!!
関連する語句や出来事をまとめて覚えることができるように、
引き続き、当ブログでは高校日本史の語句や出来事の簡単な暗記法や語呂合わせを記載していきます。
このブログを見たおかげで問題が解けた!! 暗記が楽になった!!
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