どうも、 バルコニーです。
このページでは奈良時代の政権担当者の1人である、藤原仲麻呂(恵美押勝)について
わかりやすく・見やすく・覚えやすく
触れていきます!!
藤原仲麻呂が活躍する時代には、日本史において重要な出来事が数多く起こっています。
そのため、覚えることが多く、下記のような状態に陥ってしまう事も……
・藤原仲麻呂の時代に起こった出来事をすぐに忘れてしまう
・出来事の順番が覚えきれない
・他の藤原氏と区別ができず、覚えきれない
しかし、安心してください。
このブログでは、私が予備校時代に日本史の点数を爆増させた覚え方や語呂合わせを記載しています!!
YouTubeにも掲載しているよ!!
効率の良い語呂合わせ&覚え方を知りたい方はぜひ参考にしてください!!
便利な覚え方だけ知りたい人は、
目次から直接「便利な暗記法」をクリックしてね。
藤原仲麻呂が活躍する時代に起こった出来事一覧
藤原仲麻呂は橘諸兄に代わって、政権担当者となった人物です。
彼の時代に起こった出来事として、下記が挙げられます。
東大寺大仏開眼供養会(752年)
聖武天皇の発願で743年に制作が開始
唐から鑑真が来日する(753年)
養老律令が施行される(757年)
藤原不比等が作った律令をこの時使う
橘奈良麻呂の乱(757年)
藤原仲麻呂から恵美押勝へと改名する
恵美押勝の乱(764年)
孝謙上皇&銅鏡 VS 淳仁天皇&恵美押勝
解説①東大寺開眼供養会と鑑真の来日
聖武天皇が造立を始めた東大寺盧舎那仏が長い年月を経て完成し、
752年に、大仏の目に瞳を描いて魂を入れる儀式
東大寺大仏開眼供養会 が実施されました。
また翌年には、日本に戒律を伝えるために 鑑真 が唐から来日します。
鑑真は4度も航海に失敗しているよ。
それでもあきらめることなく、5回目の挑戦でやっと日本にたどり着いたんだ!!
鑑真が日本に来る前までは、
自誓授戒(自分で自分に規律を課すこと)が主流だったので、自分に課す戒めを軽くする輩が多く、仏門の信徒の質が悪くなっていました。
この状況を改善するために鑑真は日本にやってきます。
鑑真は、戒壇院で初の授戒を行い、仏門に入った信徒に守るべき戒めを授けます。
また鑑真は、唐招提寺の建立、悲田院(貧しい人や孤児を救うための施設)の創設にも携わり、日本の仏教文化の発展に貢献しています。
解説②養老律令の実行
756年、聖武天皇が亡くなります。
その翌年の757年には、藤原不比等 が中心となって制定した 養老律令 が施行されています。
自分の一族が考えた法律を施行するなんて……。権威をフル活用しているね。
聖武天皇が亡くなった後は、光明皇后と藤原仲麻呂が孝謙天皇を支えます。
支えると言うものの、孝謙天皇はほぼ傀儡状態。
政治の実権は光明皇后と藤原仲麻呂が握っていました。
解説③橘奈良麻呂の乱
養老律令を施行して、 政権担当者として藤原一族の力を示す藤原仲麻呂。
当然、それを快く思わない者も数多くいます。
その中の1人が橘奈良麻呂です。
橘奈良麻呂は、藤原仲麻呂の前に政権を握った橘諸兄の子どもだよ!!
橘奈良麻呂は藤原仲麻呂を引きずり下ろすために反乱を企てます。
しかし、反乱は失敗に終わり、かえって仲麻呂の権力の強大さを示す結果に終わります。
解説④恵美押勝へ改名 そして没落
淳仁天皇が即位した後、仲麻呂の一家は姓に恵美を付け加えられ、仲麻呂は押勝の名を賜ります。
孝謙天皇が病に伏したから、淳仁天皇が即位したよ!!
縁起のいい名前を賜った藤原仲麻呂(恵美押勝)ですが、良くないことが起こります。
聖武天皇の后である 光明皇太后 が亡くなり、権力が弱体化。
さらに、孝謙上皇も病気が治り、僧侶の 道鏡 が孝謙上皇の寵愛を受け、藤原仲麻呂(恵美押勝)の権力はますます弱体化してしまいます。
藤原仲麻呂(恵美押勝)にとって孝謙天皇も道鏡も邪魔者になっちゃたよ。
新たな傀儡である淳仁天皇と手を組み、藤原仲麻呂(恵美押勝)は孝謙天皇と道鏡の排斥を目論見ます。
これが 藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱 です。
最終的にこの戦いで藤原仲麻呂(恵美押勝)は敗死、淳仁天皇は瀬戸内海の淡路へ配流されます。
権力を取り戻した孝謙天皇が再び即位し、
今度は 称徳天皇 と名前を変えて、道鏡とともに政治を行っていきます。
解説④ 道鏡の繁栄と没落
称徳天皇 が即位すると、 道鏡 の権力が著しく強くなります。
法王(仏教界の頂点に立つ者)になったり、加墾禁止令 (かこんきんしれい)を制定して、寺院以外の開墾を禁じたり、やりたい放題しまくるよ!!
道鏡の欲望は留まりません。ついに道鏡は天皇の位を我が物にするために行動します。
宇佐八幡宮で「道鏡を天皇にするべきだ」という神託あった という情報が朝廷に届きます。
当時の宇佐八幡宮の権力者は皆、道鏡の息がかかっているよ。
つまり信託はほぼ確実に嘘だよ!!
真相を確かめるために、和気清麻呂は九州の宇佐八幡まで行き、その神託が嘘であることを報告しました。これが 宇佐八幡信託事件 です。
結果的に道鏡は天皇になれず、この事件をきっかけに、和気清麻呂は穢麻呂と名を変えさせられ、僻地に左遷させられます。
称徳天皇が770年に亡くなると、後ろ盾を失った道鏡は政権担当者から外されてしまい、下野の薬師寺へ左遷。そして、和気清麻呂は政界に復帰し、名前も元に戻ることになりました。
ちなみに、奈良時代最後の政権担当者 藤原百川に関しては、光仁天皇は天智系の天皇であることだけを覚えておけばOKだよ‼
便利な暗記法①藤原仲麻呂に関する出来事の語呂合わせ
藤原仲麻呂が政権を担当する時代では、多くの出来事が起こります。
年号で覚える方法も良いですが、ここでは、出来事の流れをまとめて暗記できる語呂合わせを紹介します!!
語呂合わせは
仲間と灯台から監視。より良い栗でき、笑みを浮かべて殉死する
仲間
仲麻呂 (『仲間』から『仲麻呂』を連想)
灯台
東大寺大仏開眼供養会 (『灯台』から『東大寺』を連想)
から
唐 (鑑真の出身地『唐』は『唐』とも読める)
監視
鑑真 (『監視』から『鑑真』を連想)
より
養老律令の施行
良い栗
橘奈良麻呂の乱 (栗=マロン 奈良麻呂→奈良マロン)
笑み
恵美押勝に改名
殉死
淳仁天皇と共闘したが、孝謙上皇&道鏡に敗れる
仲間と一緒に栗を育て、立派に育った嬉しさで昇天してしまう。
藤原仲麻呂は『昇天してしまうほど栗好き人間』といったイメージを持ってくと、より語呂合わせを覚えやすくなるよ!!
便利な暗記法②藤原仲麻呂に関する出来事の語呂合わせ(年号)
できるだけ無理やり感の無いように作ったよ!! 年号の暗記にぜひ使ってね!!
東大寺大仏開眼供養会……752年
大仏づくりに時間を長う費やした
(長う→75 費やした→2)
鑑真の来日……753年
鑑真が血ナマコで見て日本を探す
養老律令の施行&橘奈良麻呂の乱……757年
要領よく良い栗粉々
要領から『養老』
良い栗から『奈良麻呂(麻呂→マロン→栗)』をそれぞれ連想
恵美押勝の乱……764年
押勝 凋落 みんな無視
便利な暗記法③道鏡に関する出来事の語呂合わせ
『貢献したら超得した!! …というのは全て嘘っぱち』と覚えましょう!!
貢献したら超得した
『貢献→孝謙 超得→称徳』を連想 (孝謙上皇と称徳天皇は同一人物)
嘘っぱち
『嘘っぱち』から『宇佐八万神宮神託事件』を連想
やってもいない貢献を、さも自分がしたかのようにふるまう。
道鏡は『とにかく凄いと言われたい自己顕示欲の塊人間』といったイメージを持っておこう!!
道鏡に関しては、特に重要だという個所は無く、覚えることは少なめです。
語呂合わせを活用し、スパッと暗記してください!!
終わりの言葉
勉強、お疲れさまでした!!
今回で奈良時代の政権担当者は終了です。1人ひとりが個性的で覚えることが多い部分ですので、
しっかり中身を覚えていない or 覚えることをあきらめている人が大勢います。
つまり、人物と出来事をしっかり整理して覚えておくことで、周囲と差をつけることができます!!
関連する語句や出来事をまとめて覚えることができるように、
引き続き、当ブログでは高校日本史の語句や出来事の簡単な暗記法や語呂合わせを記載していきます。
このブログを見たおかげで問題が解けた!! 暗記が楽になった!!
といった感想を持ってもらえると嬉しいよ!!
効率よく時間をかけずに出来事を暗記したい!!
という方は、ぜひ他のページもご覧になってください!!