どうも皆さん、バルコニーです。
このページでは
『鎌倉幕府の滅亡』について触れています。
鎌倉幕府の滅亡の年号と要点を
楽に覚えたい。
そんな人のために、このブログでは、
力づく&無理やり感のない覚え方
を紹介しています!!
覚え方だけ知りたい人は、目次から直接
『便利な覚え方』へジャンプしてね。
鎌倉幕府の滅亡の流れ
まずは「鎌倉幕府滅亡」に
至るまでの流れを確認しよう。
鎌倉幕府滅亡への道①
鎌倉幕府の滅亡に拍車をかけたのは、
何と言っても元寇です。
文永の役、弘安の役の年号は覚えてるかな?
元寇は、 自国を守るための戦いだったため、
新しい土地は手に入らず、
御家人たちは、奉公に対する十分な恩賞(御恩)を受け取ることができませんでした。
御家人の生活は苦しくなり、
幕府への不満が高まるよ。
そこで幕府は、1297年に永仁の徳政令を制定。
御家人たちの借金帳消しや売りに出した御家人の土地の返還を命じます。
しかし、御家人たちの不満は止まらず、
鎌倉幕府滅亡へと確実に近づきます。
鎌倉幕府滅亡への道②
さらに鎌倉幕府の滅亡に拍車をかけたのは、
後醍醐天皇の存在です。
後醍醐天皇は「正中の変・元弘の変」
といった討幕計画の中心人物です。
上記2つの変は失敗に終わるけど、後醍醐天皇の行動は、多くの人の心をつかんだよ。
鎌倉幕府滅亡への道③
正中の変・元弘の変をきっかけに、後醍醐天皇は隠岐に流されてしまいます。
しかし、幕府に不満を持つ人たちが各地で立ち上がり、行動を起こします。
足利尊氏が六波羅探題を攻め落とす
新田義貞が鎌倉を攻め落とす
上記二人の活躍が決め手となり、
1333年 、鎌倉幕府は滅亡しました。
便利な覚え方
鎌倉幕府滅亡の語呂合わせ
鎌倉幕府滅亡の年号を楽に覚えたい
鎌倉幕府滅亡の立役者は誰だっけ?
上記のように考える人、いると思います。
そこで語呂合わせを考えたよ!!
できるだけ無理やり感の無いように作ったから、ぜひ参考にしてね!!
鎌倉幕府の滅亡の語呂合わせは
些か残念 鎌倉幕府 明日には滅ぶって
些か残念……1333年
いささかざんねん
明日……足利尊氏
「あし」から「足利」を
「た」から「尊氏」を連想
明日には……新田義貞
あ「したには」から「新田義貞」を連想
滅ぶ……鎌倉幕府崩壊
この覚え方を使うことで、
鎌倉幕府滅亡の要点と年号を楽に覚えることができますよ!!
アウトプット!!
鎌倉幕府滅亡の語呂合わせ
「鎌倉幕府滅亡の語呂合わせ」
をここでアウトプットしていこう!!
些か残念 鎌倉幕府 明日には滅ぶって
「些か残念」から「①」を連想
「明日」→「②」を連想
「明日には」→「③」を連想
「滅ぶ」から「④」を連想
最初はすぐに思い出せなくても大丈夫!!
繰り返したら絶対に覚えることができるよ!!
①1333年 ②足利尊氏 ③新田義貞
④鎌倉幕府滅亡
「この語呂合わせ使える!!」と思った人は、
ランキングボタンをクリックしてね!!
確認問題!!鎌倉幕府滅亡の語呂合わせ
確認問題で「鎌倉幕府滅亡の要点」を
しっかり定着させましょう。
紹介した語呂合わせを活用してね!!
ちょっと難しい問題もありますが、
頑張ってください!!
各数字に入る言葉を答えてね!!
鎌倉幕府滅亡の年号は①年
鎌倉幕府滅亡に拍車をかけたのが②天皇
②天皇は、1324年③の変と、1331年④の変の立役者
⑤が六波羅探題を、⑥が鎌倉を攻め落、
⑦は滅亡する。
わからなくても大丈夫!!
「弱点を洗い出せた」と前向きにとらえよう!!
①1333 ②後醍醐天皇 ③正中の変
④元弘の変 ⑤足利尊氏 ⑥新田義貞
⑦鎌倉幕府
まとめ 鎌倉幕府の滅亡
勉強、お疲れさまでした!!
今回は『鎌倉幕府の滅亡』について
触れていきました。
鎌倉幕府の滅亡の語呂合わせ
些か残念 鎌倉幕府 明日には滅ぶって
紹介した語呂合わせをぜひ活用してね。
引き続き、当ブログでは高校日本史の語句や出来事の簡単な暗記法や語呂合わせを記載していきます。
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