どうも、ばんるこにーです。
このページでは高校日本史における
『鹿ケ谷の陰謀』について
わかりやすく・見やすく・覚えやすく
触れていきます!
鹿ケ谷の陰謀をきっかけに、
歴史が大きく動きます。
テストでの出題率はそれほど高くありませんが、覚えておいて損はありません。
鹿ケ谷の陰謀の年号と要点をまとめた語呂合わせも記載していますので、
すぐに知りたい方は、目次から直接
「便利な暗記法 ~」に飛んでください!!
解説① 鹿ケ谷の陰謀
平清盛は太政大臣に就任し、平氏の人間も次々と高い役職につく。
この平氏絶頂の状況を、当然、喜ばしく思わない人々が現れます。
彼らは平家を倒すために、毎晩、京都の鹿ケ谷で計画を練っていたよ!!
しかしこの計画は、実行される前に阻まれました。実行されずに終わったため、「鹿ケ谷の陰謀」と呼ばれています。
陰謀に関わっていた俊寛や藤原成親らを処刑・処罰して一件落着。とはなりませんでした。
後白河上皇(法皇)自身も鹿ケ谷に訪れたことがあったからです。
上皇(法皇)に平家打倒の命令を出されたら、
平家は朝敵になってしまうよ!!
解説② 鹿ケ谷の陰謀のその後
平重盛の死
朝敵になることは絶対に避けねばと考えた平清盛は、後白河上皇(法皇)の移住・監視を試みました。
しかし 清盛の嫡子 平 重盛 の必死の懇願により、後白河上皇(法皇)の移住・監視は見送られます。
平重盛は『今の平家があるのは、後白河上皇(法王)のおかげではないですか』と清盛に訴えたほど忠義の厚い人物だよ!!
平家と上皇(法皇)の間を取り持っていた平重盛ですが、早期に亡くなってしまいます。
そして重盛の死によって、両者の溝を修復することが不可能になる事件が起こります。
解説③ 鹿ケ谷の陰謀のその後
治承三年の政変
忠義に厚い重盛の死後、後白河上皇(法皇)がとった行動は
重盛が所有する知行国・越前の没収でした。
忠義の厚い重盛に対して、この行動はあんまりだよ……
この後白河上皇(法皇)の行動に、当然清盛は大激怒。
大軍を率いて上洛し、平氏にとって不都合な院近臣 達を徹底的に排除。
そして後白河院は、鳥羽離宮へ幽閉されます。
後白河上皇(法皇)は平治の乱の時も幽閉されてたね!!
その後清盛は、当時の天皇である高倉天皇を退位させ、自分の孫に天皇の位を譲位させます。
天皇の名前は安徳天皇。高倉天皇と清盛の娘
徳子 の子どもだよ。
こうして安徳天皇が誕生し、平氏の強い影響下で政治が行われるようになりました。
便利な暗記法①
鹿ケ谷の陰謀の語呂合わせ
いつ何するか 話した瞬間 親に陰謀 即バレる
いつ何……1177年
1が2つで『いつ』 7が2つで『何』
瞬間……俊寛
親……藤原成親
陰謀……鹿ケ谷の陰謀
即バレる……バレて失敗
上記の語呂合わせを覚えることで、
鹿ケ谷の陰謀の登場人物と年号を一気に暗記できますよ!!
便利な暗記法② 治承三年の政変の語呂合わせ
ついでに、治承三年の政変の語呂合わせも紹介するね‼
治承三年 重盛が いなくなった
治承三年……治承三年の政変
重盛……平重盛
いなくなった……1179年&重盛の死
(い)いなく
いなくなる→死を連想
終わりの言葉
勉強、お疲れさまでした!!
鹿ケ谷の陰謀と治承三年の政変は、他と比べて重要度が低く、後回しにされがちです。
だからこそ、しっかりと押さえておくことで、周囲との差をさらに広げることができます!!
引き続き、当ブログでは高校日本史の語句や出来事の簡単な暗記法や語呂合わせを記載していきます。
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